”A Thinking Reed”


athinkingreed

「考える葦」という言葉はきっと、日本の義務教育を
受けた人なら誰もが聞き覚えのある言葉だと思います。

しかし、その意味をしっている人ってそんなに居ません。

それは、この言葉について語られる時、しばしば省略される
後半の部分に重要な説明があるからです。

考える葦については、下記の通り。


 

L’homme n’est qu’un roseau, le plus faible de la nature;
人は一茎の葦にすぎない。自然の中で最弱である。

mais c’est un roseau pensant.
しかし、その葦は考える。

Il ne faut pas que l’univers entier s’arme pour l’écrasser:
人を押しつぶすために、何も宇宙全体が武装する必要はない。

une vapeur, une goutte d’eau, suffit pour le tuer.
水滴一滴でさえ人を殺すのに十分だからだ。

Mais, quand l’univers l’écraserait,
しかし、たとえ宇宙が人間を押しつぶしたとしても、

l’homme serait encore plus noble que ce qui le tue,
人は自分を殺すものより崇高な存在だ。

puisqu’il sait qu’il meurt,
なぜなら、人は自分が死ぬことと、

et l’avantage que l’univers a sur lui,
そして宇宙が自分よりも優位である事を知っているからだ。

l’univers n’en sait rien.
宇宙は何も知らない。

Toute notre dignité consiste donc en la pensée.
それ故、私たちの本質は考えることにある。

C’est de là qu’il faut nous relever
私たちが立ち上がるべきはそこからであって、

et non de l’espace et de la durée, que nous ne saurions remplir.
私たちが満たすことのできない空間や時間によらない。

Travaillons donc à bien penser:
だから、よく考えるように努めよう。

voilà le principe de la morale.
これこそ我々のあるべき姿がある。

Blaise Pascal, Pensées ブレーズ・パスカル『パンセ』


 

ここで言う『考える事』というのはきっと、理論や
計算する事などではなく、人間にしかない、およそ、
霊性と呼ばれる事全てであると考えます。

すなわち、祈ったり、愛したり、思いを馳せたり、
目に見えない事柄を確信する事――つまりは信仰。

そういったものに人間の全てがあると、
パスカルは言っているのだと、僕は考えるのです。

だからこそ、旅の間考えた事。
つまりはこの日記こそが、僕の旅の本質になるよう、
日々、綴って行きたいと思います。